指導員コラム(2009年度)
指導員が日々の思いを綴った指導員コラム2009年度版です。
2011年度はこちらです。
よく山村留学を希望する保護者の方から、『山村留学をすると学習が心配で』という相談を受ける。都会のように塾や家庭教師などの習い事と言われる2次教育産業が、この大岡にはないからだ。まして自然体験や農村文化体験、『自然の中で思いきり遊ぼう!』などの文言が並ぶので、学力の低下を心配されているのだろう。当然と言えば当然なのかもしれない。しかし私はこう答えている。『心配ないですよ。学習習慣が身についているお子さんなら、環境が変わってもするでしょうし、習慣が身についてないお子さんは現状のままでしょう。ただ、読書をする量は増えるでしょうし、今まで山村留学をしたから学力が落ちたという話は聞いたことありません』と。大岡小・中学校は1クラス平均10人前後。中学校はT.T(チームチーチング)で授業に2人の先生が指導にあたり、小・中学校共に、都会では考えられないほどの手厚く、1人1人の定着度に合わせた学習指導が行われている。センターや農家生活でも小学生は1時間、中学生は1時間半~3時間程、家庭学習をしている。私自身も、せっかく山村留学に来て体験活動を主体に生活をしているので、塾で教えるような受験テクニックを教えることはしないが、子どもたちが学校で教わる各教科の単元の定着度は把握し、最低限、次の単元に進めるべく基礎学力は必要だと考えているので、その部分についてはしっかりと指導をしていきたいと思っている。また、本来子どもたちが持ち合わせている知識欲は、都会ならばテレビやマンガ、ゲームなどから選択する余地さえ無く、無尽蔵に子どもたちに浴びせられて満たされているだろうが、留学生活では、テレビ・マンガ・ゲーム・おこずかい禁止という、欲求不満耐性を身につける環境であるため、外からの情報は新聞や学校であった友達からの情報ぐらいであり、自然と子どもたちは内発する知識欲を読書に向けて満たすようになっていくのである。話がそれてしまったけれど、結論を言えば学習低下は心配ないということである。しかし逆に飛びぬけて向上するということもないと思う。ただし、修園してから自分の目標が定まり、それを達成するために努力を積み重ねる力は、勉強に限らず山村留学で必ず養われていると信じている。本当にそうなんだもの!
㋐
五月末、学園では、「リヤカーキャンプ」を行った。一泊二日のキャンプ活動で、テントや食料、薪など、必要な荷物を一つのリヤカーに乗せ、みんなで引っ張りながら、聖山一周二十五kmを徒歩で移動するもの。今回は雨の中での野営、そして移動となった。センターに到着した時には、子どもたちはみんな靴の中までびしょぬれになり、長い距離を歩いて疲れはてていた。温かいお風呂に入った時は、心からホッとしたことだろう。非常に過酷な活動なのだ。もちろん指導員にとっても。
私は「過酷な活動」が好きだ。その根っこは短期の活動にある。私は、小学生から育てる会の短期に参加していた。その中でも強く印象にあるのは北海道班だ。当時の活動は、前半は廃校を借りて全員で集団生活をし、後半は北海道の北端を一週間程かけて移動キャンプをするというものだった。忘れられないのは、雨の中での海岸キャンプ。中学生の時、びしょぬれになりながらテントをたて、その中でリーダーから配られたバナナと、乾パンを食べた。外では大きな波の崩れる音。本当に必要に迫られて乾パンを食べたのは、このときが初めてだった。なんだかワクワクした。高校生の時には、サブリーダーとして参加し、夜びしょぬれになりながら、みんなのテントが雨漏りしていないか確認した。
雨の中のキャンプは、寒いし、テントをたてるのも大変だし、火はなかなかつかないし、本当に必死だ。自分の衣食住を自分で確保しなければならないのだから。でも「楽しかったなぁ」と思う。過酷な環境だったからこそ、周りの子と協力しようと努力したし、なにより必死になる事ができた。必死に、自分のできる限りの事をしなければならないということが楽しかったのだ。自分がどこまでできるか力を試すこと、もっと力を出せるかもしれないと思うことが。
指導員になって、自分も子どもたちにそんな経験をさせることができたらと思う。でもそれには知識も技術も経験も、何もかも足りない。子どもたちのために、今度はそれを身につけることに、必死になるときなのだと思う。
㋑
職員自主研修
子どもたちが農家入りしている間、長野県内の学園に勤務している指導員が集まって、スキルアップのための自主研修を行った。育てる会全体の取り組みとして、毎年2回の研修を行っているが、それとは別に企画されたものだ。内容は、大岡では学園生が入園して1番最初にやる「デイキャンプ」。もちろん子どもたちとまったく同じ内容というわけではなく、条件を厳しくしての実施だ。
デイキャンプはどの職員も経験があったため、マッチと小枝だけで火をつけることを課題とした。使えるマッチも3本に限定した。新聞や枯れ葉などの焚き付けを使わずに火をつけるのは、案外難しい。薪を組み、「これでいい」と思っても、火をつけるときはマッチをするのに勇気がいる。マッチをすったのに上手く火がつかず消えてしまった時や、枝に火がついたのに他の枝に燃え移らずに炎がなくなり、煙だけになってしまった時の悔しさ。思い通りに火が燃え移り、太い木まで燃えはじめた時の嬉しさ。炊きあがったご飯の美味しさ。いつも子どもたちが感じているのと同じ感動を味わった。
どのような活動でも、子どもたちが体験できる活動の内容は、指導員の経験によって決まる。指導員は、自分の実力以上の活動を、子どもたちに対して展開することは出来ないからだ。飯盒炊爨の場合、経験の浅い子どもに対しては、「自分ひとりで薪を集め、マッチで火をつけ、飯盒で米を炊く」というだけでも活動として成り立つが、経験をつんだ子どもではそうはいかない。子どものやる気を引き出したり、達成感を得られる活動にするためには、活動の難易度を上げることや、違った側面からのアプローチが必要になる。そこで指導員の経験がものをいう。指導員の経験が深いものであればあるほど、経験をつんだ子どもにも、ただの飯盒炊爨を「やりがいのある活動」にすることができる。これは野外活動だけでなく、生活習慣や農作業、人との接し方、一年間の全てに当てはまることだ。指導員自身が仕事を楽しみ、経験を深め、向上心を持って生活することが、子どもたちの嬉々とした姿につながると実感した研修だった。
日々大きく成長していく学園生たち。その上をいく成長を、自分自身がしていかなければ。子どもたちに負けていられない。
㋑
初夏の風に早苗が揺れる季節になりました。子どもたちは学校帰りに道草し、野イチゴやクワノミをおやつがわりに食べてきます。入園して3か月が過ぎ、『あと1回センター活動をしたら帰省で、もう1学期は終わりだよ』と話すと『え~!時間が過ぎるのが早すぎる~!』と子どもたちは話しています。
学園では農業体験として、稲作・畑作の活動をしています。稲作では先人の水稲作業の大変さや米作りの苦労を知るために、殆どの作業を手作業で行い、畑作でも堆肥を撒く土づくりから苗作りなどの作業を、子どもたちの手によってすすめていきます。地元の農家の方々からは『何も今の時代に、農業の大変さを教える必要はないじゃないの。今の農業は機械も発達して随分楽なんだから。そんな体験をさせたら農業が嫌になってしまわないかしら』と言葉をいただく。確かにそうかもしれない。
よく子どもたちに体験させる一般的な農業体験プログラムでは『田植え体験』『稲刈り収穫体験』と水稲作業の一端を体験させて終了と言うプログラムが多いように思う。畑の体験でも『イモ掘り体験』など収穫を体験して終りだ。きっと子どもたちは『田植えが大変だったけどお米がとれて良かった!』『イモ掘りすごく楽しかった』という感想なのであろう。
どちらの体験プログラムが良い悪いという話ではないが、田起こしで手に豆を作り、代かきでは体中泥だらけ、畑では臭い堆肥にまみれ、草取りでは爪の間に土が入ってなかなか取れないなど、学園の畑作体験は大変な事ばかり。しかしその分、収穫の喜びは大きいし、食農に対する思いが高まることは確かなようだ。
何より、修園していった子どもたちの中に、農業を夢見て目指すものが数名出てきている。それはどうしてなのか。今度会った時に理由を聞いてみたいと思っている。 ㋐
ダンコウバイの咲く4月に入園して4ヶ月が過ぎ、学園生が心待ちにしていた帰省になりました。学園では帰省を一つの活動として捉え、1人で計画を立てて自宅まで帰るようにしています。1か月も前から時刻表の調べ方を練習し、経路や距離・料金まで自分で調べ、切符を購入して帰ります。1年目の学園生は直帰、継続園生は自分でテーマを決めて寄り道をして帰っても良いことになっています。松本城を見学して帰る子、下諏訪温泉に入浴して帰る子、全て各駅停車に乗って帰る子それぞれである。きっと、どの子も自分で立てた計画と実際の移動では、計画通りにいかないことも多いことだろうが、迷ったり乗り遅れたりしても、人に尋ねながら帰っていくことだろう。冒険である。
学園生は4か月間、センターでの集団生活と農家での生活を繰り返してきた。楽しいことばかりではなく、他人を思いやりながら、我儘が許されない環境で生活をしてきた。きっと精神的にも肉体的にも疲れた状態だと思う。短い夏休みだが、ゆっくりと心と身体を休め、多少の寝坊もしてもいいと思うし、我儘を言っても、ゲームだって思う存分やってもいいと思う。家庭という心の基地に帰るのだ。全てを受け入れてもらって、エネルギーを充填して2学期に帰村して欲しい。
こちら大岡は9月に入りめっきりと寒くなりました。センターの周りの山々も薄らと色を染め始め、里では稲刈りが最盛期を迎えました。どの田でも家族総出で稲を刈り、はさ棒にかけて干す作業が行われ、地域全体が収穫の秋の活気に包まれている雰囲気があります。
今回のセンター活動では小・中学校ともに大きな行事がありました。小学校は『第108回校庭運動会』、中学校は文化祭である『第60回ひじり祭』が催され、どちらの行事も少人数の児童・生徒全員が役割を担い、どの子も主人公として生き生きと活動していました。運動会もひじり祭も大勢の地域の方が訪れ、地域の子どもたちに対する思いが伝わってくるようだった。大岡のような山間地の学校は、地域の方々にとって、教育の拠点としての存在はもちろんだが、心の拠り所としての存在がとても大きいと思う。昔は今のように学校教育・社会教育と区別もなく、校長先生や教頭先生が公民館長を兼務して盆踊りを開催したりと、本当に地域の拠点として学校が存在していた。
都市部では高度成長に合わせて、教育産業や社会教育分野の発達、核家族化、PTAの存在など、多岐にわたる事由の中で、地域から学校が遊離してしまう現象が起きてしまったが、最近は逆に地域に学校を定着させようと、いろいろな試みがなされるようになってきた。
ここ大岡も過疎化・高齢化によって、地域の社会構造そのものが、成り立たなくなってきている現状があるが、いつまでも学校が地域の中心となりうる存在として、そして子どもたちが地域の宝であるという気風を消さないためにも、この山村留学制度を発展・充実させる必要性を、今回の学校行事に参加して強く感じた。 ㋐
短い夏休みを終えた学園生が大岡に帰ってきた。久しぶりに再開した家族旅行の話しなど、口々に夏休みの出来事を、楽しそうに報告してくれる。しかし夕食時に目の前に座ったNに『夏休みどうだった?』と聞くと『最低!親がうるさいんだもん。宿題やったか?部屋掃除しろ!テレビ観すぎ!ったく、干渉しすぎなんだよ』『あはは。そりゃ大変だったね。反抗期だ』『そう。反抗期!』
小学校高学年から中・高校生にかけて迎える反抗期。当然山村留学生にもその時期はやってくる。留学する学年・時期によっても違いがあるが、3つのパターンがある。まずは反抗の矛先が親に向くケース。これは親も堪ったもんではなく、久しぶりに会った休みは反抗され、学園行事で再会を楽しみに、仕事疲れもなんのその、遠距離を移動して、たどり着いたセンターの玄関で『何で来た!』の一言で始まり、ションボリして帰るパターン。指導員からすると何故か申し訳ない気持ちで一杯だ。そして反抗の矛先が指導員や農家の父さん母さんに向くパターン。これは他の学園生がいる手前、格好悪いので、表立って反抗はできず、言葉掛けに対して無視だったり、うわの空だったりする。私としては、このパターンが一番楽しい。そして最後は周りの様子を気にして、表立って反抗しないプチ反抗期の子だ。これはもしかすると、修園してから本番になるのかもしれない。自我の目覚めとともに、子どもでいたい自分と決別し、身近にいる大人に、自分をすり合わせていく作業は、本人にしてみれば必死だ。しかし面白いことに、留学生の場合は反抗期を迎えた子がいると、必ずといっていいほど、それを中和させてくれる子の存在があるのだ。『まぁ、そんなに反抗しないでさ。自分がやりたい山留出してくれてんのは親なんだから。感謝しなくちゃね』なんて一言が良く聞かれるのだ。ちょっと前までバリバリの反抗期だった子がそんなことを言ったりする。
そういえば、夕食時のNも同じことを言われて『そんなことはわかってる!』だそうだ。 ㋐
ひろいもの
私は、道端でものを拾うのが好きだ。木の実や、珍しい葉っぱや、動物の痕跡や、鳥の羽や、きれいな石など。車を運転していても、無意識に道路の脇や上に広がる木の枝を観察してしまう。
きっかけは、7年前にさかのぼる。私は大学生の時、大岡ひじり学園で、1年間ボランティアをしていた。その時、私の「お仕事」の一つに、朝のつどいがあった。初め、指導員から「子ども達の身近なことなら何でもいいよ。」と言われたときは、なにを話せばいいのか分からなかった。自然や田畑を身近に感じながら、生活したり思いきり遊んだりしたことが、ほとんどなかったからだ。自分の経験してきたことの中に、子どもに話して聞かせるべきことが、ないと思った。そこで、困った末に思いついたのが、学園生の通学路を歩き、目についたものを拾ってきて、図鑑で調べることだった。
拾ったものを調べていくと、そこには大きなひろがりがある。拾ったのはたった1枚の葉。でもそこから、その植物の名前の由来、花のかたちや受粉の方法、種の運搬方法、集まる虫、人間が利用してきた歴史や方法、その地域差…。調べれば調べるほど、その結果からまたさらに興味が広がって、尽きることがない。すごく面白いと思った。わからないものも多いが、そんな時は子どもに聞いてみると「ああ、それね。」と当たり前のように教えてくれることもある。私の拾いもの好きを知って「こんなの落ちてたよ」とか「ねえこれ何?」「変なものほしい?」とか言いながら、みつけたものを持ってきてくれる子や、朝のつどいで話したものを発見し、拾ってくる子もいる。逆に「また変なもの拾ったでしょ!」と言われてしまうこともあるが。
ものを拾うことは、自然とつながる一つの手段だ。ちょっとしたことだけれど、子ども達にとって、それが自然に興味をもつきっかけになれば嬉しい。目の前にあるもの全部が不思議に思えたら、すごく楽しい毎日がおくれると思うから。
㋑
学園一大行事である収穫祭が盛況のうち無事終わりました。
今回の収穫祭で私は、学園生が取り組む個人研究の指導を14人中8名担当した。どの子も2年以上継続しているベテラン山留生だ。1学期に全員に個人研究の導入をして、学園生はそれぞれ頭を悩ませながら個人研究題を模索し研究に取り組んでいく。4月の入園から始める子もいれば、収穫祭1ヶ月前になっても、なかなか研究題が見つけられずに頭を抱えている子それぞれ。1学期当初から14名全員に対して個人研究の対応をしてきた私も、10月に入って研究が煮詰まってくると、それぞれ3人の指導員で担当を割り振って、さらに研究を深めていく。そしてその担当指導員を学園生全員を集めて発表する。『~君、~さん:以上8名は私です』と担当を発表すると『やった!』とニコッと笑顔を返してくれる子。『うっ!』『エッ』という声とともに、下を向く子それぞれ。大概、『うっ!』『エッ』の反応の子は研究が進んでいなかったり、題が決まっていない子だ。その子たちは私が手取り足取り全く手伝ってくれないのを、重々承知しているのだ。そこから私と学園生の根競べが始まる。『早く時間作って個人研究やらんか!』と言葉がいつも喉につっかえる2ヶ月間だ。中3の留学3年目のT男は今年は筵の研究をした。収穫祭の発表では、自分で編んだ筵を誇らしげに展示し、そこに至るまでの紆余曲折を発表した。素晴らしい発表だった。彼は自分の手で百mもの縄を綯い、そこから筵を地道に編んでいく研究。受験生という時間のない立場で、夜中に1人で編み続け、ようやくできたと思ったら『こりゃ駄目だ。人様にお見せできん』と私に言われ、涙を浮かべながら最初からやり直し。私も失敗すると分かっていながら、何も忠告しないから意地悪だ。彼は1年目も2年目も個人研究で後悔した。そして挑んだ3年目の研究。ひたすら縄を綯う姿、藁を編む姿は見たことも無い集中力だった。こうして私と彼との3年間の根競べは終わった。当然ながら今年も彼は『うっ!』『エッ』の仲間だったけれど。 ア
今日は来年度育てる会に就職する予定の方々が、初任者研修ということで大岡を訪れた。2泊3日の予定で長野県内の学園を訪れているが、大岡では食育指導員から『山村留学での食育実践活動』についての座学と『蕎麦打ちの実習』、指導員からは『山村留学指導員の職務について』という座学を1日かけて行った。大岡を訪れた皆さんはどの方も、留学事業の理念に賛同し希望を持って入職される方なので、とてもやる気があって内容の濃い研修を行うことができた。昼食には自分たちで打った蕎麦とおやきを食べて、信州の郷土食を楽しんだ。学園の2人の若い指導員も、今回は指導する立場になり、後輩たちに熱く思いを語り、自身も日々研鑚の必要性を改めて感じた様だった。山村留学の指導員は子どもたちの多岐にわたる環境構成をプロデュースする仕事である。生活指導も学習指導も、そして野外活動など、身につけていくべきスキルは無限にある。結果がすぐに出ない仕事だからこそ、いつも夢を大きく持って、前向きに職務にあたって欲しいと思った。