指導員コラム

指導員が日々の思いを綴ります。

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自立の第一歩

 雪解けの進んだアルプスの山肌に、『種まき爺さん』『武田菱』『代かき馬』と雪形が現れる季節になりました。ともにこの雪形から爺が岳、五竜岳、白馬岳と命名され、先人はこの雪形の便りをもとに、農作業に関わったそうです。

 さて、入園して2カ月が過ぎました。その間に2回の農家生活、3回のセンター活動を子どもたちは過ごし、大岡の生活にも本当に慣れてきました。最初の頃は、ヘトヘトになって帰ってきた徒歩での登下校も、道草をしたり冒険をしたりと、体力的にも慣れてきて、余裕を感じるようになりました。体力的な余裕を土台に、精神的にも大分余裕が持てるようになり、子どもたちから『~~してもいい?』『~~やってみたい!』という、内発する欲求が言葉になって表れるようになってきました。

 また、集団生活を通して人の気持ちを考えて行動することや、集団で気持ちよく生活するには、我儘を言わないなど、大勢の人間関係の中で、気をつけなければいけないことも、段々と身についてきたようです。何より指導員から子どもたちに対しての『~~しなさい』『~~した?』という言葉掛けを発することが、本当に少なくなってきたように感じます。きっとそれだけ子どもたちも、自律する力が身についてきたのだと感じています。親元を離れて生活すること。きっとそれだけでも、山村留学の意味は大きいものだと感じています。

 1学期も残り半分となりましたが、これから夏に向けて、活動もダイナミックになっていきます。益々子どもたちの歓声が、大岡の空に響き渡ることでしょう。  ㋐

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どう指導すればよいのか?

留学生たちにまだ定着していない基本的生活習慣の一つに“寝間着に着替えて寝ること”が挙げられる。定着度の低い中学生男子数名に口煩く言うと「何でこのまま寝ちゃいけないの?」「○○兄だって、継続生だって、ジャージのまま寝てるよ!」「この服、寝間着兼用だし!」と決まって返ってくる。

学園では、夕食前に入浴し、清潔な衣服に更衣。掃除や太鼓練習・勉強等を終え、就寝時には寝間着に着替えて、それまで着用していた服を枕元に畳んで置く。翌朝起きたら、枕元の衣類(中学生の場合、平日は制服)を着るという流れ。学園生活は3か月も過ぎたのだ。入園後に身につけた他のことは沢山あるし、別段難しいことではないと思うのだが…。着替えない理由は、恐らく面倒臭いからだろう。子どもの頃から寝間着に着替えて寝るということが当然であった私は、それを疑問に思わず今に至るのでどう指導すればよいのか悩む。前述の口答えに対し、起きている時に着る服と寝る時の服は違うということ、活動着のまま布団に入れば布団が汚れるということ、寝間着は睡眠中にかく大量の汗を吸収・通気し、しっかり体を休められること等、これまでに何度も説いてきたが、今のところ失敗の様だ。寝る前の挨拶を寝間着に着替えてからさせ点検するという方法等で管理はできるが、それで更衣する様になったとしても本当に身についたとは言えない。

 だから、納得させられる理由が必要だ。寝間着の素材やゆったり感が、良質の睡眠に導き快適な睡眠を持続させるうえで大事で、学園生が愛用するジャージや部屋着は、眠る目的には生地が厚すぎるということ。また、活動と睡眠の時間の境界線を曖昧にせず、体内リズムを睡眠に切り替えるという意味で、更衣という行い自体が重要であること。身体のスイッチを上手く切り替えられないと、心身の不調を招くこともあると聞くから、今度は「身体のスイッチを切り替えるため寝間着に着替えて寝て、心身の不調を招かないよう自己管理しよう!」と諭そうと思う。                    ㋣

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内発するもの

 夜になると、田の畔にはホタルが乱舞し、大岡もようやく初夏を迎えました。

 先日、学校の先生から『学園生は本を読む子が多いですね』という感想を頂いた。確かに毎日のように学校の図書館から本を借りてきては、自由時間に読み耽る子が多いし、センターの書庫からも本を手にする子が多い。テレビやゲームを禁止しているから、やること無いし本に傾倒するのだと、安易に考えることもできる。しかし最近考えるのは、子どもとは計り知れない欲求の塊なのではないかということだ。欲求には色々とある。知識欲、体験欲、食欲、睡眠・・。寝ても覚めても子どもは何かを欲している。しかし大切なことは、この欲求はバランス良く能動的に満たされるべきだと思っている。

都会の子どもたちが、テレビゲームに没頭し、そこには受動的な刺激ばかりと、一元化された能動的満足が交互し、塾などの習いごとでは、受動的に知識を詰め込まれ、本来子どもが持っている無限の欲求を、アンバランスな形で封じ込めている状況がある。

4月に入園して、最初は自分の欲求を、どこに持って行けばよいのかわからなかった子どもたち。ゲームやテレビや消費欲を満たすお金は無いけれど、無限で多種多様の情報を持った大自然に囲まれて生活し、その情報を取捨選択しながら生活する中で『~したい』と内発する意欲が、5月の芽吹きに同調するように表われ始めた。4カ月経った今では、多くの子どもたちが目を輝かせて、学びに遊びに、意欲的に生活している。そして知識欲や体験欲などの湧きあがる欲求を、自分自身でバランス良く振り分けながら人間らしく生活をしている姿がある。これこそが山村留学の目指す子ども像の一つだと考える。読書が好き。という子どもの姿も、その中の一つなのかもしれない。         ㋐

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子どもをとり囲む環境

 アルプスも初冠雪を迎え、秋から冬への足音が、遠くから聞こえてくる季節になりました。それでも邯鄲が、短い夏を惜しむかのように夕暮れを教えてくれています。

短い夏休みを終えて、学園生が大岡に帰園しました。2学期は、小学校では運動会、中学校では文化祭と、4月からの学びや体験の発表の場がありました。少人数であるがゆえに多忙さや大変さがありますが、どの子にも活躍の場が与えられ、1人1人に光をあて、個々を大切にした学校教育の姿を見ることができ、ご覧になった保護者の皆さんも、大岡小中学校の素晴らしさを感じられたのではと思います。

センターでは学校の先生方と連絡帳や学校訪問を通して、子どもたちの学校やセンターでの様子を話し合い、月に一度の農家会合では子どもを中心に据えた忌憚の無い話し合いが行われ、地域の方に行き会えば、『~~君は気持ちよい挨拶を毎日してくれるね』と声をかけてくださる。そして遠くから駆けつけて下さる保護者の皆さんと、朝になるまで子育て談義をする。そして私は毎回考える。こんなに大勢の方々、そして多方面から見守られている子どもたちが、この日本にどのくらいいるのだろうかと。本当に学園生たちは幸せだと思う。子どもたちはそんなことにもまったく気づかず、のびのびと大岡での生活を謳歌している。それでいいのだ。変な期待を背負うよりも、環境の中で大勢の方から温かく見守られ、のびのびと育つこと。それが一番大切なことだ。きっと子どもたちが大人になり、そして親になったとき、この体験は必ずや後世に引き継がれていく力に繋がることだろう。

さあ、これからはセンターでの収穫祭に向けて、子どもたちは本格的に動き出す。更なる子どもたちの成長を楽しみにしたいと思う。  ㋐

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子どもと時間

 学園生が学校からセンターに帰ってきた。高原の涼しい大岡と言えども、この時期は皆汗びっしょりで帰ってくる。帰園し宿題を済ませると入浴だ。当然指導員も一緒に入浴し、1日の学校での出来事など、ワイワイと話しながら楽しく入浴する。私も時を忘れて子ども達との時を楽しむ。そしてふと時間が気になり中1山留1年目のT男に『今何時かわかる?』と聞いた。T男は少し考えて『そおね、だいたいね~』と節を交えて答えた。私は諦めてその隣で頭を洗っていた中2で2年目のS男に同じ質問をした。S男は『えっと僕が風呂に入ったのは5時40分だから今は6時くらいかな』。その時間を聞いて、私は仕事が残っていたので、急いで脱衣所に出て時計をみたら見事に6時すぎだった。

 考えてみると、学園生には学年や継続年数を問わず、時間の概念でT男のような『そおね、だいたいね~』派とS男のような『時間を捉えている』派に分かれる。センターでは集団生活の為、配膳や掃除、食事など集団の為に動く時間が多く、自分のしたいことをする自由時間はとても限られている。結果的に自分の課題や、やりたい事象が出て来ると、時計をみながら自分の行動を管理し、自由時間を生み出さないと、何事も達成できなくなってしまう。よってこれは子どもの自律(立)度にも比例してくる。『そおね、だいたいね~』派の子どもは宿題や自分の洗濯、後片付けなど、ギリギリまで追い込まれないとやらない子が多いが、『時間を捉えている』派の子は、指導員が何も促さなくても、テキパキと宿題、洗濯等を終わらせ、自分が取り組みたい個人研究や太鼓練習などを自主的にやり、力強く生活している子が多い。この違いは山村留学が目指す子ども像にも関わる事象だと思っている。   

 まぁ、道草をして、山の中で時を忘れて遊び切る体験も大切だが、生活の中で、時間の概念を持たせるための環境作りも、指導員の課題だと思っている。

 斯く言う私は『そおね、だいたいね~』派なんだけれども・・・。      ㋐

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 一つの自信が織りなすもの

 センターから眺めるアルプスも雪化粧を始め、凛とした空気が身を包む季節になりました。学園では収穫祭も盛大のうちに終り、学園生もほっと一息ついているところです。

 11月始めのこと。学園生全員が、収穫祭の準備に大忙しで動いている時、中2・1年目のY男が1人で私のところに来て、『あのね、英検受かった!絶対落ちると思っていたけど・・。頑張ったんだけど・・。ギリギリ合格だったんだけど・・。すごく嬉しい!』とハニカミながら報告してくれた。私は『良かったなぁ、がんばったんだなぁ』と応えて、彼は満面の笑みで部屋を出ていった。

Y男は入園当時、なかなか自分に自信が持てず、常に誰かと一緒にいないと不安で行動できず、自分から1歩を踏み出して行動することが、なかなかできる子ではなかった。学園生が取り組む太鼓や踊りも、その自信の無さが表現に投影されてしまっていた。私は彼に対する指導の中で、何か1つでいいから、心の中に根付く自信を構築しようと考え、それを表現活動に求めた。彼は太鼓もそんなに得意ではなかったが、日々の練習の中で真面目に取り組む姿勢があり、誰もがそれを認めていた。そしてその成果も実り、素晴らしい太鼓が打てるようになってきていた。そして私は10月のある日、太鼓練習終了時に全員の前で『Y男は、本当に太鼓が上手になったね。皆のお手本になれるよ』と彼を誉めた。それは皆から『すげー!Y兄!』と認められた一瞬だった。それからのY男の動きは少しずつ変わっていった。英検を申し込む時も『絶対落ちるから嫌だよ』と言っていたものが、『やってみようかな』に変わり、今回の結果を導き、普段の生活の中でも彼の行動面は変化していった。

一つの自信を育むことによって、その子の多様な可能性を引き出すこと。これこそが山村留学の指導実践で重要なことだと考えている。 

そういえば、今回のセンター入りで開口一番彼は『期末。30点もあがっちゃった!』だそうだ。                ㋐

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